SSブログ

情動 ~ラカンとビオン~

十川幸司氏の発言より

・・・次に、現代の精神分析において情動がどのように考えられているかという点について、ラカンとビオンという2人の分析家で見てみましょう。まずラカンについて言えば、ラカンの理論においては、情動と感情が混乱した形で論じられています。そして基本的にラカンが扱っているのは感情の問題で、情動に関しては彼は不安しか取り扱っていません。不安は人間を騙さない、ゆえに不安こそが分析治療の指針になると、ラカンは考えています。ラカンにとって人間とは、不安という情動と言語とによって規定された生き物ということになります。一方ビオンは、乳児と母親、患者と分析家の関係をパラレルに考えています。このモデルは非常に素朴で、この2つの間には当然ギャップがあります。子どもの経験と大人の経験を同じ水準で考えていいわけではないのですが、この構想自体は非常に優れたモノだと言えます。つまり不快を自分の中で処理していくような過程、現実の痛みをそのまま受け入れる力こそ思考の力だと、ビオンは考えるわけです。(2007金沢工業大学)


nice!(0)  コメント(0) 

狼男より [メモ]


狼男 全集14 P7より


 ここで問題にする患者は、従順な無関心の態度の陰に立てこもり、長い間手の施しようがなかった。彼は耳を傾け理解を示したが、なにものも寄せ付けなかった。彼の申し分のない知性は欲動の力からは分断されているかのようだったが、この欲動の力が、彼に残された僅かの生活分野で彼の挙動を支配していた。分析の作業に自立した関与をもつようにし向けるには、長いこと教え諭さなければならなかったし、この努力の甲斐あって解放の芽生えが現れても、彼はすぐさま作業を中止し、続く変化を防止して元の情況に舞い戻ってぬくぬくとしていた。自立した生存に対する彼の忌避は断固としたもので、そのためには病気であることのあらゆる苦難を厭わなかった。それを克服する方法はただ一つだけだった。私(引用者註、フロイトのこと)という人物への拘束が強固となって、自立の忌避に釣り合うようになるまで、私は待たねばならなかった。




nice!(0)  コメント(0) 

素人による精神分析読解の問題 [メモ]


 国分功一郎氏の素人による精神分析読解の問題

 10/1のワークショップのテーマでした。




nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。