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欲求不満 [メモ]


 メモ。Versagung。ラプランシュ/ポンタリス『精神分析用語辞典』より。


 欲動の要求の充足が拒まれていると思っている、もしくは自分で拒んでいる主体の状態。


 ドイツ語の Versagung を通常フラストレーション(欲求不満)と訳す習慣は、英語で書かれた著作による欲求不満の概念の流行によるところが大きい。この訳語には、いくつかの注釈が必要だ。

1) こんにちの心理学は、ことに学習に関する研究において、欲求不満と満足感とを対概念とし、それぞれを快刺激の不在または存在のもとにある有機体の状態だと定義する傾向にある。このような考え方は、フロイトのいくつかの観点と無関係ではない。とくにフロイトが欲求不満を欲動を充足させうる外部対象の不在と同一視しているようにみえる場合がそうだ。この意味で、「精神の二原則に関する定式」(1911)においては、外的対象を必要とする自己保存欲動と、自体愛的にそして幻想のかたちで長時間満足している性欲動とを対比している。前者のみが欲求不満に陥る。

2) しかし多くの場合フロイトの Versagung という用語は他の意味を含んでいる。この語は事実関係を示すのみではなく、("言う"を意味する語根 sagen が示すように)相手の側からの拒絶と、主体の側から要求のかたちで多少なりとも表明された要請とを含むところの関係を示している。

3) フラストレーション(欲求不満)という用語は、主体が受動的に満足を与えられていないことを意味すると思われるが、Versagung は"誰が"拒むかを少しも意味しない。場合によっては、みずから拒む(参加の取り消し)という再帰的意味が優勢だ。

 以上の保留は、フロイトが Versagung という概念のために書いた種々のテキストによって裏付けられるだろう。「神経症の発病の型」(1912)において、フロイトは Versagung はリビドーの満足を妨げる――内的あるいは外的――全障害を含むと述べている。フロイトは、神経症が現実における欠如(たとえば愛の対象の喪失)によってひきおこされる場合と、主体が、内的葛藤か固着の結果、現実が提供する満足をみずから拒んでいる場合とを区別するが、彼によると、Versagung はこれら二つの場合を統一しうる概念を含んでいるのだ。したがって、神経症形成のさまざまな形態を比較すれば、ある関係、すなわち外的情況とその人に固有の特性の両方に従って変動するある種の均衡が、"変質"したという考えに到達できるだろう。

 「精神分析入門」(1916-1917)では、フロイトは、外的な喪失それ自体は病因ではなく、それが「主体が欲求する唯一の満足」を侵す場合にのみ病因となることを強調している。

 「主体が成功を収めるまさにその時発病する」(二、三の性格類型1916)という逆説は、「内的な欲求不満」の主要な役割を明らかにしている。この場合はさらに一歩すすみ、欲望が現実に満足されることを主体が拒んでいるのだ。

 以上のテキストから、フロイトによれば、欲求不満においては、現実の対象の欠如が問題になるより、むしろ特定の形態での満足をしか求めないような欲求、あるいはいかなる満足も受け入れることのできない欲求への反応が問題となることが判明する。

 治療技術上は、神経症の条件が Versagung にあるとする考え方が、禁制の規則を基礎づけている。患者には、リビドー欲求をやわらげることになる代理による満足を禁ずるのがよい。分析者は患者の欲求不満を維持しなければならない(精神分析療法の道1916-1917)。

――――――――
・参考
全集「不首尾」
荒谷大輔「違約=フラストレーション」
ジジェク「欲求拒否」(『楽しめ』鈴木晶訳)
著作集「拒否」(ある幻想の未来)

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