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抑圧の本質

フロイト『夢解釈』より

 幼児期に発し、不壊でかつ制止もされないこの欲望の蠢きの中には、それが成就されることによって、二次的な思考の目標表象との矛盾の関係へと入り込んでしまうようなものがある。これらの欲望たちの成就は、もはや快の情動ではなくして不快の情動を喚起するであろう。そしてこの情動変換こそ、われわれが「抑圧」と名づけているものの本質をなす。どのような道を通って、どのような諸々の原動力(180)によって、このような変換が起こりうるのかということに抑圧の問題が存しているのだが、ここではそのことに触れておくだけでよかろう(181)。われわれは、このような情動変換が発達の経過につれて起こるということ(子どもの生活の中に初めのうちは欠けている嫌悪感というものが、どのように出現してくるかを考えていただければよい)、そして、この情動変換は二次的な系の活動に結び付けられているということを確認しておけば十分である。無意識の欲望は諸々の想起から情動迸出を起こすのだが、それらの想起はVbwにとって、決して手の届くことのなかったものたちである。それゆえにまた、情動迸出を制止するというのも、できるはずのないことなのである。今やまさにその情動の増長のために、それらの表象は前意識の思考から近づけないものになってしまう。前意識の思考たちへと欲望の力を転移させたのは、他ならぬこれらの表象であるのに。それどころか、不快原理が力を得て、転移思考たちから身を遠ざけるようにとVbwを仕向けることになる。これらの転移思考たちは、ほったらかしにされる、つまり「抑圧される」のであり、これをもって幼児期の、初めからVbwから引き離された想起の倉の存在が、抑圧の前提条件となっていくのである。


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